文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(11)

「痛い」って辛いよね

治療生活に入ってからは、月日が経つのが本当に早く、気付いたら外でセミがせわしなく鳴いていて、甲子圏では高校野球が始まっている。私は二回目の抗がん剤を先週終え、今回は入院がなかったために、家族と愛犬とゆったりとした時間を過ごしている。

我が家の愛犬はチワワの女の子だが、15歳なので人年齢だと80歳に相当する。そして彼女は乳がんの先輩であり、癌サバイバードックである。最近はすっかり眠っている時間が長くなったが、彼女の寝顔を見ながらフワフワの毛並みをそっと撫でると、痛みや痺れを忘れるほどに癒される。

最初の抗がん剤治療は、3泊4日の入院での施術だった。入院中にはショックや大きな副作用は発現しなかったが、退院した日の夜から四肢の痺れと、カーンと棒で撃たれたような痛みが全身に生じた。寝ているときに痛みが来ることが怖く、夜中は座ったり四つん這いになったりして、少しでも落ち着く体位をひたすら探した。明け方からは床が回るような感覚にも苛まれ、頭もガンガンと痛む。

翌日になっても症状は改善せず、私の身の置き所のない様子を見かねた母が病院に連絡をして、緊急時外来の受診となった。血液検査では炎症数値は上がっていたものの、明らかな異常はなく、ひとまず神経性疼痛に効くという内服薬をもらって、翌日の午前の外来を再受診する運びとなった。

最初の薬の服用時には、何となく楽になった気がした。傾眠感と眩量が強くなったが、痛みよりは楽である。その日は少しうとうとと眠ることが出来た。

翌朝、7時頃からまた打たれるような疼痛が始まる。薬を内服して1時間程の仮眠を取ってから外出の準備をしようと考え、うとうととしたところ、私に大きな変化が起きた。

意識は起きているものの、全く起き上がれる気がしない。私が時間になっても起床しないため、寝坊していると思った母が起こしに来てくれたものの、私はアワアワ言うことしかできない。やっとのことで「起きられない」旨を伝えられたため、母が担当医に電話で相談をして、私が動けるようになった段階で病院に行くことになった。

約1時間後、何とか発話が可能になったため、両親の介助のもと立ち上がろうとしたが、床がぐらんぐらんと揺れる感覚がして、そのまましりもちをついてしまった。その後、何とか立ち上がり歩くことはできたものの、呂律は回らず、千鳥足でふらふらとまるで酔っ払いのような状態である。

診察の結果、内服薬の副作用が強く出ているということで、薬を変更しての経過観察となった。薬を変更してからは、歩けない、ちゃんと話せないというような状況は回避できたものの、5日後の週末に胸部に新たな電流が流れるような疼痛が起きる。日に日に悪化し、横になるのも辛く、寝返りも打てない。

週明けに再度受診し、翌日のペイン科の受診を予約してもらった。しかし、胸部の痛みは短期間で容赦なく悪化する。

翌日は体の重心の変化時にすら痛みが出て、車移動も辛く、病院に着いた時にはすり足で歩くのが精一杯な状態になっていた。息を吸うときに、胸が上がるのも辛い。痛みでうまく呼吸が出来ず息切れし、検査のための移動にも激痛が押し寄せてくる。

思わず看護師に「もう動けません、受診できなくても仕方ないので検査をやめてもらえませんか」と訴えたところ、「車椅子を使ってください」と言われ、34歳の娘が同伴の母に車椅子を押してもらうという情けない状態になった。

CT検査の結果も異状はなく、「原因不明の痛み」として処理されることになった。抗がん剤は元気な細胞全部によく効き、細胞を壊死させる効果があるため、筋肉か何かが損傷しているのかもしれないと言われる。

この日から弱オピオイド系(医療麻薬系)の薬によるペインコントロールが始まる。医師から「最初は吐き気と眩量がしますが、なれますから」と説明をされたが、私の中で痛みが最大の悩みであるため、この際吐き気の副作用なんてどうでもいいと思った。処方薬をもらったらすぐに薬を服用した。

しかし、3時間経っても効かない。椅子に座っていても、呼吸などのわずかな動きの度に激痛が走り、夕食時に箸を持つことすらできない。家族が心配して話しかけてくれても、発話が苦痛でイラ立ちしか起きない。そのため、服用指示を守った上で、再度鎮痛剤を服用した。

40分後、異常に発汗する。手足だけでなく頭皮も熱い。手だけでも水で冷やすために、何とか洗面所にたどり着いたところ、胃が飛び出してきそうな熱い吐き気が来た。立とうとする、でも痛い。痛くて動けない。副作用を侮っていた・・・パニックになった私は「あーーーーっ!!!もう無理!!!こんなの無理!!!」と何度か叫んだところ、大きく視野が回るような眩量も始まり、その場に倒れるようにうずくまった。私の叫び声に驚いた両親が駆けつけてきた。

その後、意識も朦朧としたため、2階の寝室までどうやって移動したか明確に覚えていない。副作用止めの薬を飲んで2時間ほどしたら、内臓が焼けるような熱さも落ち着き、話せるようになった。痛みも少し和らいだ。母と「あのままペイン科を受診しなかったら、どうなってたのかな。緩和ケアって大事だね」と話した。

今年の1月に、カフェに痛みの相談をしに来られた方がいた。お母さまが末期癌で痛みが強い様子なのに、医師には痛みを訴えない。でも家族と話すのもイライラするほどに痛みがあり、背中をさすって欲しがるという。家族としてできることを知りたい、今後痛みの緩和を希望した場合にはどのような治療になるのかを知りたいという相談であった。

その時は痛みを医師に訴えても嫌がられることはないこと、家族であっても診察室に入れること、緩和ケアで用いられる麻薬で中毒になることは基本的にないこと、辛い痛みを我慢する必要はないこと等を話した。

当時は「緩和ケア研修を受けた者」の立場で話をしたが、こうして患者となって異常な疼痛を経験してみて、緩和ケアの重要性が身に染みた。私の場合は、2週間ほどで疼痛コントロールが可能となり、箸を持つことも、恐怖心なく入浴することも可能になった。

痛みは本人にしか分からない。そして痛いことは恥ずかしいことでもないし、我慢してもよいことは何―つない。皆さんもいつもと違う痛みを感じたときは、すぐに医師に相談してほしい。

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