文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(3)

納得のいく治療の選択

連載を毎月読んでくださっている方には恒例の説明になってきているが、私は毎月「メディカル・カフェ Le Moi」を兵庫県西宮市で開催し、がん患者・患者家族・遺族の交流の場を設けている。カフェの活動をエッセイとしてまとめ、606号から連載を開始した。

606号で、アスベスト患者・家族の会の世話人をしているBさんという女性が出てきたのを皆さんは覚えていらっしゃるだろうか。今固は、そのBさんが主役のお話である。

Bさんはカフェの「常連さん」である。彼女の話はとても面白く、他の参加者の話題も丁寧に拾うため、カフェの「お母さん」的存在の人だ。長年患者会に携っている経験からか、彼女には包容力と参加者の話を引っ張っていく不思議なカリスマ性がある。

そんな彼女もカフェで悩みを話すときがあった。それは、彼女が抱えている難病についてである。数年前に彼女の右手首に突然大きなこぶのようなものができ、病院を転々することとなったが、現在の主治医に屈筋腱腱鞘滑膜炎という難病と診断され、一度手術を受けてこぶを切除していた。その後、感染症を起こすこともなく傷口もふさがり、日常生活に支障が出ない程度までに回復していたが、昨年末頃からまたこぶのようなものが隆起し、Bさんはサポーターで手首を隠しながら、精神的に参った様子だった。

Bさんの場合、Bさんの主治医との信頼関係は強い。しかし、Bさんの主治医は外科医であり、Bさんの手首のこぶの再発に対して提案した治療が「再手術」であることにBさんは抵抗を感じていた。

患者と医師が納得する治療を二人三脚で進める場合、医師は患者の病だけでなく、患者の背景事情(家族に頼れる環境であるか否か、どのような眠業であるか、等)や価値観(患者の中の優先順位)を理解しながら治療方針を提案していくことになる。

Bさんは御主人を看取った後に三人の子供を独立させ、当時は患者会の世話人だけでなく三味線の先生としての活動を主軸としていた。そのため、右手に後遺症が出て楽器を演奏できなくなることは、第三者である生徒さんを困らせる状況であり、「右手首に後遺症が出ないこと」が彼女にとっての優先事項であった。ちなみに、Bさんは最初の手術の前には、一人暮らしを続けられるように、左手での署名や、左手の箸使いの訓練をしていた。術後は右手首を曲げにくい状態でも、懸命なリハビリの後に演奏を続けていたが、再手術後も楽器奏者で居られる保証はない。

Bさんは、右手首のこぶのようなものを解消するために手術以外に治療がないのならば止むを得ないと考えているものの、原因が特定できず、内科的治療の余地がないのかもわからない状況下で、再手術をする決断に踏み切れずにいた。Bさんの主治医はそのことを理解し、もし他の病院で治療の手立てがあるならば治療してもらえるよう、Bさんに宛名が白紙の紹介状を作成し(Bさんの場合は次にどこの病院にかかるか未定であったために、宛名は白紙の紹介状となった)、治療法が見つからずに手術を決断したときにはいつでも戻ってきてもいいと伝えた。

しかし、問題はここからであった。Bさんは『内科的治療』という漠然とした希望を有していたものの、様々な病院のホームページにアクセスしても、〇〇内科と専門領域に細分化されている。原因が分からない病気に悩むBさんは「自分が行くべきなのはどの内科なのか」と立ち往生状態になり、私に「仁美さんならばこのような場合、どのようにされますか」という相談をされた。相談の背景には、Bさんは「他の先生に意見を聞くならば、セカンドオピニオンになる」と思っていた。そして、セカンドオピニオンはがんに限定されていたり、セカンドオビニオン外来を見つけても保険適用外で、1時間で約3万程という高額な値段設定に困惑したこともあった。

そのため私からは、主治医が紹介状を書いてくださっているのならばセカンドオピニオンを使わなくても、保険適用の診察を受けることにより治療方針を相談できる旨と、セカンドオピニオン外来は専門医が主治医の診断内容や治療に関する助言を行う外来であって、治療は含まれない旨を説明した。その上で、「特定の病院もしくは医師の希望がないならば、他の専門医の診察を受けて『内科的治療を希望している』旨を伝え、「内科的治療の可否」及び「考えられる後遺症や副作用」について尋ねてみてはどうか、と話した。その後すぐにBさんは手の専門の外科医がいる病院を探し、内科的治療の余地がないかを探ろうと初診の予約を取ったようだ。

ここで私が「取ったようだ」という表現をしたことに、違和感を持った読者もいるだろう。「取ったようだ」と私が書いた理由は、結局Bさんは予約した病院にかからなかったからである。

Bさんの初診予約の前日がメディカル・カフェ開催日であり、その日は偶然にも胃がん経験者の医師(Y医師としよう)が参加していた。そしてBさんとY医師は、カフェ終了後に帰り路が同じ方面だったこともあり、初対面と思えないほどに親しくなったようである。そしてY医師が「そういえば、皮膚科で開業をしているけど漢方とかの投薬に長けたドクターがいた」と思い出し、その旨をBさんに伝えたことが契機となり、Bさんは「こんなタイミングで情報が入ってきたのはきっと何かの縁だろう」と感じ、翌日の初診をキャンセルして、Y医師からの情報を頼りに当該ドクターのもとに駆け込んだそうである。すると、そのドクターから様々なアドバイスを受けて漠方を処方してもらった上に、「現在かかっている整形外科医とは縁を切らず、経過観察をしながら焦らず取り組みましょう」という言葉をかけてもらい、Bさんの納得のいく治療方針となった。

翌月、Bさんは、明るい様子で、手首にサポーターを巻くこともなくカフェに現れ、先月までの不安な気持ちが落ち着いたことや、これから先の手首の変化は分からないにしても気持ちを切り替えて明るくやっていくつもりであること等を話してくれた。そして、「普段は世話人や先生として、自分よりも他者が中心の生活になっていたことも、病気に対して不安が募った原因かもしれない」とも話された。Bさんはバイオリン奏者の御主人を無くしてから、御主人以上の演奏の。ハートナーは居ないと感じ、演奏のセッションを組む気力がなくなっていたそうだが、「お寺での演奏会を頼まれたから、グループセッションもするつもりです」と笑顔を見せてくださった。

Bさんは今年の8月からはカフェに来ていない。Bさんから事務局に入ったメール連絡によると、チャリティコンサートや江差追分の大会等にチャレンジをされ、三味線の練習や指導に精を出している様子である。メールに添えられた「落ち着いたら、カフェに参加したいと思っています」という言葉に、「来月は会って積もる話が聞けるかな」と再会を待ち遠しく思う今日この頃である。

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