文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(12)

自分なりのアピアランス・ケア

今は病室で原稿を書いている。ちょうど前半の抗がん剤治療が終わり、今回のクールから抗がん剤が変更となるため、副作用が出たときに備えて、四泊の入院となった。病室が異様に静かで落ち着かないため、ミュージカルやベリーダンスのDVDを大量に持ち込んで「セルフ・アートケア」をしている。それ以外にも、病室にはカラ フルなひざ掛けやイルカの抱き枕、オレンジのクッションなど、実用的でトキメクものを持ち込んだ。回診に来た看護師さんには、「今回もいろいろと持ち込まれたんですね。入澤さんの病室ってくると可愛くて、なんか癒されます」と言われた。短期入院でも、少しでもラブリーな生活がしたい。そのためウィッグもロングストレート、ボブ、ショートと三種類持ち込んだ。

担当医や秘書さんに会う時は、少しでも元気に見せたい気持ちがあり、初日は夜までロングのウィッグを着けていた。しかし夜になっても担当医の訪室がなく、乳腺外科の回診で他の先生と話したので、「もう今日は先生が来ないな」と夜8時にウィッグを外した。すると、8時半に長時間の手術を終えた担当医が病室に現れた。不覚にも、私は素顔でケア帽子に。ハジャマである。「さっきまでちゃんとした姿で先生を待っていたのに」と少し悔しかった。

入院二日目は3時間弱に渡る抗がん剤の投与があったため、部屋着に着替えて、少しだけメイクをし、横になっても邪魔にならないボブのウィッグを着けて、秘書さんを待った。

抗がん剤の最中に、秘書さんは部屋に現れた。「今日は身だしなみをちゃんとしてるぞ」と思ってはいるものの、「疲れた姿で心配を掛けないかな」という気持ちもある。

抗がん剤中は患者の体温、血圧、心電図等を頻繁に確認する上、看護師が抗がん剤を扱う度に毎回紙工プロン、手袋、マスクでガードをする。秘書さんは「抗がん剤ってこんなに慌ただしいのね」と驚かれていたが、研究方針やアンケートのレイアウトを考えてるうちに話に夢中になった。大好きなミュージカルの話もして1時間ほど談笑していた。

そんな中、「なんかずれているかも…」とふと思った。秘書さんが見ていないときに前髪の位置を手探りで確認してウィッグを直したところ、振り返った秘書さんが、「あれ、さっきまで前髪がやたら短いなぁーと思ってたんだけど」と言った。やはりズレていたようだ。きっと患者にはツッコミにくかったのだろう。

私は患者であるが、女でもある。一応はまだ30代半ばのうら若き乙女であり(笑)、色々と気にしてしまうものである。そのため「明日は留まりやすいロングのウィッグを被ってイメチェンに驚かせるのもいいし」等と漠然と呑気に考えていた。

しかし、抗がん剤終了後2時間ほどしたら、重い副作用が押し寄せて来た。今回の副作用は異様な吐き気とふらつきだった。布団が体に乗っている状態でも圧力をかけられているように感じ気持ち悪く、動こうとすると視界が揺れる。嘔吐すると食道が荒れるだけでなく脱水のリスクも高まるため、「吐かないようにする薬」を処方されているため、吐きたくても吐けない状態が本当に辛い。

吐き止めの頓服注射を受けながら欠食状態のまま3日目の朝を迎えた。ここで私は、体の絶不調から外見に油断をしてしまう。秘書さんは訪室前にメールをくれるのが常だったため、メールが来るまでは休もうと思ってしまったのだ。

これが大きな間違いだった。秘書さんが私の研究の事務手続きを代行してくれた際に、手続き上私に伝えるべきことができたようで、事務からそのまま私の病室に来てしまった。

彼女がノックをして部屋に入ってきた時、私はパジャマにどすっびんに黒縁眼鏡をかけたまま副作用に悶えていた。人の気配を感じて慌ててケア帽子を被ったが、鏡を見ていないので可愛くない被り方をしていたに違いない。そして「吐きたくても吐けない」状態に、イルカの抱き枕を抱えてもがき苦しんでいた。座って話そうとしてもくらくらして、骨盤を立てた状態をキープするのに胡坐のような状態になってしまう。

…最悪だ(涙)。大好きな秘書さんに、最悪の状態を見られてしまった。秘書さんは「病人なんだから、そんな気にしなくても」と言ってくれたが、副作用に負けた気がしてなんだかとても悔しい。この日の失敗は、残る闘病生活中は決して忘れないだろう。

翌日は、私のかかりつけ医だったDさんが病室に来てくれることになっていた。この日もまだ欠食状態は続いていたが、朝起きたらすぐに身支度を整え、ロングのウィッグを着用した。

私の癌の診断から治療開始までの期間が短く、カフェも休止しているので、Dさんとは4カ月ぶりの再会である。「私は医者やのにね、でもやっばり神頼みしちゃうわよね」と言いながら病室に現れた彼女は、薬師寺と廣田神社の御守りを持ってきてくれた。

Dさんの話によると、私の癌を知ったEさんは、すぐに信頼できる姓名判断の易士に相談をしてくれたそうだ。そして易士の判断によると、私の祖先はギリシャ系でシルクロードを渡って日本にきて、コノハナサクヤヒメを拝めばいいということだった。Dさん自身は持統天皇のファンで既に薬師寺にお参りに行ってくれていたが、Eさんからのアドバイスをもらい、コノハナサクヤヒメを祀っている神社も探してくれたそうである。コノハナサクヤヒメといえば、古事記に登場する有名な安産の神で美神である。祖先がギリシャ系というのも美人なイメージがして、悪い気はしない。

Dさんは「思ったよりは元気そうでよかった、相変わらず綺麗にしてるね」と言われて、嬉しい。Dさんは私の気分転換にゲーム機を持ってきてくれていたのに、私が画面に酔うために一緒にすることはかなわなかったが、大事な人との再会のために朝から頑張って外見(アピアランス)を整えて良かったと感じた。

Eさんが帰った後、病室にはいつものように秘書さんが現れた。「あ、今日はちゃんとロングの方を着けてるんや。」

・・・はい、着けてますよ。昨日と違って。だって昨日は完全な失態だったもん。秘書さんの笑顔を見ながら、心の中で「彼女の昨日の記憶から、私のひどい状態の映像を消してくれ」と祈った。

副作用が予想より重かったため、私は次回の抗がん剤も短期入院での投与となる。きっと毎日秘書さんが会いに来てくれるだろう。「今度は副作用に負けず、毎日綺麗に!」というのが次回の入院時の抱負だ。「病は気から」という言葉があるが、私の場合は身だしなみを整えないと精神面までふさぎ込む傾向がある。可能な範囲でのお洒落をして、副作用を克服していきたい。

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