文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(2)

医師の患者に対する接遇について考える①

私は「メディカルカフェ Le Moi」を毎月開催している。メディカルカフェとは、がんの患者さんやご家族やご遺族、がんに関心を持つ人が集まり、お茶を飲みながら、ご自身の経験や悩みを自由に話すことができる場所である。606号では、「メディカルカフェLe Moi」の始動までの話とカフェ初回の様子を簡単に書かせていただいたので、本稿では606号で出てきたAさんの話を書かせていただこうと思う。カフェに参加してくれたAさんのご主人は中皮腫(ちゅうひしゅ)患者であり、ご主人が担当医から病状説明の際に「一週間で死ぬセミ」というたとえをされたことに悩んでいた。

「中皮腫」と聞いても馴染みがない読者がほとんどであると思うので、ここで中皮腫について簡単に説明する。私たちの肺・心臓などの胸部の臓器や、胃腸・肝臓などの腹部の臓器は、それぞれ、胸膜、心膜、腹膜と呼ばれる膜に包まれ、この薄い膜には、「中皮細胞」が並んでいる。中皮腫というのは中皮細胞から発生する癌であり、そのほとんどがアスベスト(石綿:せきめん・いしわた)を吸ったことが原因であり、多くの場合は、胸膜に発生する。アスベストに晒される機会が多いほど、またその期間が長いほど発症の危険性が高くなり、アスベストを扱う労働者だけでなく、アスベスト関連の工場周辺の住民にも中皮腫は発生する。アスベストを吸ってから中皮腫が発生するまでの期間は平均で40年ととても長く、中皮腫から生じる症状が他の疾患にもみられる症状であるために早期発見が難しい。アスベストのなかでも発癌性の強い角閃石石綿のクロシドライト(青石綿)とアモサイト(茶石綿)は1970年代から欧米では使用が控えられたが、発癌性の弱い蛇紋石石綿のクリソタイル(白石綿)はその後も続けて使用され、日本で全面的に使用が禁止されたのは2005年6月のいわゆる”クボタショック“以降である。アスベストの大量消費から40年以上が経過した現在、かつてはまれな腫瘍だった中皮腫は急増し、国内の死亡者数は2006年に1,000人を超え、2015年には年間1,500人を超えた。病期(ステージ)は主に4段階に分かれているが、中皮腫は早期発見が困難であるため、確定診断を受けたときには3か4の段階で手術ができないケースも多く、余命1年~2年の宣告を受けることが多い。

Aさんのご主人(以下、ご主人とする)は、最初に出現した症状が咳や呼吸困難感であったため、肺炎や結核と診断されていた。しかし、居住地域が尼崎であったことから、「念のため検査を」と紹介状を書いてもらった先の病院で、中皮腫が見つかり、幸いにも手術と抗がん剤治療を受けることができた患者さんであった。私が初めてAさんに会った時はご主人の手術から一年半が経過する頃であり、ご主人は仕事に復帰されていたことからも患者会のメンバーからは「予後が良好な患者」という認識をされていたようだ。しかし、患者会の友人が急に再発で亡くなったりする現実はAさん夫婦にとっては残酷なことであり、「死」への恐怖は切実な問題である。カフェでAさんの悩みを傾聴するうちに、Aさんはご主人に私のことを話したようで、Aさんを通してご主人が私と話したがっているとの連絡を受け、私も「私が話を聞くだけでも、気が楽になるならば」と面会を快諾した。ご主人は自営業を営んでいるために、自身の病気を公にすることができず、カフェには参加できないため、Aさん夫婦が訪れやすいコーヒーショップでの面談となった。そしてご主人から直接話を聞いたところ、担当医(仮にX医師としよう)に対する信頼は完全に崩壊していた。

ご主人とX医師の初対面は、ご主人の検査結果の説明時で、前担当医が異動となったことからX医師が担当医になっていた。ご主人が診察室に入っても挨拶はなく、X医師はパソコンの画面を見たまま話し、パソコン画面に表示されている報告書を見て「大丈夫」という結論のみを伝えたそうである。ご主人が検査結果を見て、気になる項目について質問をしたところ、「そこを見たらだめ」「気にしてストレスアップでがんが促進する」という質問の趣旨と外れた回答をされてしまい、ご主人は「これ以上聞くな」と口止めをされたような気持になったそうである。これだけでも患者にとっては担当医が向き合ってくれないと感じ不安を抱えるであろう事情だが、診察室を出る前にご主人に渡された検査報告書の控えは、別の患者のものだった。そのため、「先ほどまでの大丈夫という説明は、誰の検査結果に対する説明なのか」と不安に感じながら、恐る恐る自分の検査結果ではないことを伝えた際にも、X医師からは間違えたことに対する謝りの一言もなかったという。その日のご主人は怒りたい気持ちを抑えながら帰ったものの、次回の診察からもx医師からのご主人に対する、患者を傷つけかねない発言は続いてしまう。例えば、ご主人が余命や再発可能性について質問したわけでもないのに、X医師は病状説明の際に「あなたの病気は、生物でいう一週間で死ぬセミです。知っていますか」という発言を繰り返したり、「あなたの病気は、50%以上、いや、ほとんど再発するので」といった発言をした。またご主人は自営業であっても仕事を抜けにくい時もあるため、診察や検査の日時を相談しようとしたところ、「一年に何度もない、あなたの体のことだから」と一方的に日程を提示され、「体が元気でも検査結果が悪かったら、再転移ですから、言うことを聞くように!」と言われたこともあったという。

読者の皆さんは、「とんでもない医者だ」と思われるかもしれないが、残念ながら現在の医学部のプログラムや研修では、患者とのコミュニケーションカを養成する時間はほとんどないのが事実である。しかし、がん患者の場合、術後2年間は数か月おきに検査を受け、その期間は再発や転移に過敏になっているものである。数か月ぶりに診察室に入って緊張する患者に対して、「体の調子はどうですか」と声をかける配慮は人間として忘れてはならない。医師が「特にお変わりありませんか」と患者に尋ねたときですら、患者は不安や多少の違和感を有していたとしても、医師に伝えにくいものである。そのため、医師は患者に対して、患者を委縮させるような言動はしてはならない。なぜなら、患者は医師の知識・経験を信用して初めて納得して治療に向き合えるものだからである。

ご主人の場合は、病院の支援センターの担当者にアクセスして、担当医を変更してもらうことができた。しかし、それまでにはAさん夫婦には、「傷つく心構えをして、我慢をしたら済む」「大事になったら、治療を受けにくくなるのでは」という大きな心理的葛藤もあり、実際に担当医を変更できるまでに半年以上の時間を要した。

読者の皆さんの周りにも、医師に対する不安・不満を感じている人がいれば、患者には医師や病院を選ぶ権利だけでなく、心のケアを求める権利も有していることを伝えてほしい。

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