文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(15)

手術入院中の嬉しいサプライズ

先月末、無事に手術が終わった。入院は短期間であったが、手術の翌日からリハビリが始まりハードな数日間だったので、退院してから三日間は毎日ぐっすり眠り続けていた。

本稿では入院中の嬉しいエピソードを紹介したい。

今回の入院には、私の闘病を支えてくれるアイテムを持ち込んだ。

英語の自主ゼミ仲間(と言っても、私よりも20歳以上先輩の素敵な女性三名)が、仕事と家事を両立させながら短期間で作成してくれた千羽鶴と5つ葉のクローバーの栞。台湾の教授から届いた幸福のフクロウの指輪と、猫のリングホルダー。阪大の教授から届いた著書。順天堂の安全管理室の先生からもらった手袋…。たくさんの温かい品に囲まれながら、私にとって心地よい入院部屋になった。

入院した日にはまず秘書さんが訪室してくれた。仕事の話で終わると思っていたところ、秘書さんからサプライズの品が出てきた。

それはなんと、カフェの常連さんの寄せ書き色紙だった!

カフェが休止中なので、皆さんが顔合わせできる場所はない。そのため、秘書さんがカレンダーを郵送する際に、「手術を受ける入澤にメッセージを書いてください」と呼びかけてくれていたのだ。

秘書さんは届いたメッセージをパソコンで取り込み、幸運の象徴である七福神のイラストと共に色紙の見開きに印刷してくれていた。そして直筆のメッセージカード本体はラミネートして、栞として使用できるようにしてくれた。

「復帰したらまず何をしたいですか?次回会う時に答えを聴かせてくださいね。」と再会の時の課題が書かれていたり、「がんばれ、仁美!いやがんばらなくてもいいんだよ!でもがんばってなおしてほしいヨー!」というコメントが色鉛筆の虹とハートの上に書かれていたりした。

姫文に何度も登場しているBさんからは、「夜明け前が一番暗いのです。もうすぐ夜明け。朝日があたたかく全てを包んでくれます。」という深い言葉を頂いた。

そのほかにも、「あれから私は私が出来る事をしていこうと、仲間とNPO法人を立ち上げました。先生のお力をかして下されば百人力なんです!どうか早く元気になられてお力をかして下さい。」というような、研究とカフェ活動の完全復帰の励みになる言葉もあって、とにかくテンションが上がった。

そして秘書さんとワイワイと話していたところ、病棟師長さんが、「とうとう手術ですね。お加減はいかがですか」と挨拶に来たため、まずは私が聞きたかったことをぶつけてみることにした。

というのも、先月、順天堂の安全管理室の皆と食事した際に、「手術はいつ?」と聞かれ、「1月27日です」と答えたところ、皆からは「やばい!」、「実現したね!」等という不思議な反応を返された。事情を聴いてみたところ、私学の附属病院は医療の質を向上させるために医療体制を相互チェックすることが決まっているのだが、今年の順天堂の相互チェック先は兵庫医科大学で、視察日は私の入院期間の1月29日だったのだ。つまり、「やばい」、「実現したね」という発言の真意は、「視察を兼ねてお見舞いに行くね!」ということだったのである。

私は乳がん患者、視察日は術後二2日目、おそらくノーメイクにノーブラ、パジャマ姿だろう。術後の経過によっては、カテーテルが入っているかもしれない。視察予定メンバーは、室長を含む男性が6名、女性が一名…気の置けない順天堂の仲間といえども、カテーテルが入っている状態での面会はしたくない。

そのため師長さんに「手術後のカテーテルはどれくらいで外せますか?」と尋ね、「実は病日2日目に順天堂のスタッフが視察を兼ねて部屋に来るかもしれなくて」と話したところ、「あぁ、それで!なるほどねぇ」と笑われた。

師長さんの話では、私の入院日の朝に、順天堂から「今回は特別病棟の特別室Bを視察したい」という申し入れがあり、「SやAを見るならともかく、なぜBを希望するのだろう」と疑問に感じていたそうである。

「Bの視察希望って、つまりは入澤さんの病室に行きたいってことなのね」と笑う師長さん。横で話を聞いていた秘書さんも、「何たる戦権乱用(笑)。乳がんの女の子の病室に、男性の先生たちが来るの?」と呆れ顔。師長さんは「皆さん、心配しているのね」と頷いたうえで、「患者さんの体力次第ですけど、独歩で安全にトイレに行ける状態になったらカテーテルは外れますよ。手術の翌日か、その次の日の昼にはね」と教えてくれた。

さて手術が終わった日、リンパを採取した脇にはかなり強い痛みがあったものの、私の頭の中はもちろん「順天堂の訪問時のこと」でいっばいだった。手術着のまま病室に戻ってきたため、順天堂の皆さんをカテーテルなしの部屋着姿で出迎えるには、歩けるだけでなく、自力で着替えが出来るまでに腕を動せる必要がある。

眠りたくても痛みとカテーテルの違和感で熟睡はできないので、横になりながらも、できるだけ大胸筋を伸ばしたり肩甲骨を動かすように心がけた。そして翌朝の看護師さんが往診に来た時に、まず「歩きたいです」と訴えた。そして歩行状態の確認もしてもらい、昼にはカテーテルが外れた。

そして大胸筋ストレッチの甲斐があって、術後24時間以内に腕を垂直以上に上げられるようになっていた。乳がん患者の多くは手術の翌日には傷をかばい、腕の上げ下げや振動が傷に響く歩行を嫌うらしいが、私は術後2日目の朝には着替えて独歩で皮膚科を受診していた。

順天堂の皆は、昼過ぎに現れた。看護師さんの「入澤さん、面会です」という声がしたときには、せっかちの室長の先生が病室のカーテンを大胆に開き、「入澤先生、どう?みんなで来ちゃった」といたずらっぽい笑顔を覗かせた。

心の準備をする時間もなく、視察モードでスーツ姿の皆が病室になだれ込んできたが、私は午前中にお気に入りの部屋着とウィッグを着用していたので、気持ちに余裕をもって面会することが出来た。「思ったより元気だね」と言われ、お見舞いに私の好きなブランドのストールをもらった。入院中に使用できるように洗えるカシミヤ素材を選んでくれていた。

「病人っぽくない姿で面会したい」という目標が私のリハビリカに繋がり、その後私はストールを使う間もなく、最短の入院期間で退院することが出来た。術後の回復は順天堂のサプライズ視察計画が私を急かしたことが大きい。

仲間のサプライズ精神で、今回は手術を無事に乗り越えられた。

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