文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(1)

メディカルカフェ Le Moi の始動

がん哲学外来』という言葉を聞いたことがある人は読者の中にどれほどいるだろうか。『がん哲学外来』は順天堂大学の樋野興夫教授が提唱した理念である。樋野教授は2001年に初めて『がん哲学』という言葉を使用し、その7年後の2008年に順天堂大学に『がん哲学外来』を開設する。この『がん哲学外来』というのは、外来といいながらも臨床医による診療行為はなく、病理学者の樋野教授ががん患者やその家族と対話する形態の外来であった。樋野教授が「がん哲学外来」を発足したきっかけは、2005年にアスベスト(石綿)による健康被害が社会問題になったことである。同年、順天堂医院は日本初の「アスベスト・中皮腫外来」を開設し、呼吸器科などの医師が診断治療にあたることになった。樋野教授は臨床医ではなかったものの、中皮腫を診断する手法を開発していた関係で、三ヶ月ほど「アスベスト・中皮腫外来」に出て、患者さんの話を聞くことになる。そして、患者さんの話を聞いている中で、「患者は自身の病気や治療についての不安を診療にあたった医師に相談できずにいる」ということに気づき、「医療者ががん患者の思いをじっくりと聞いてあげれば、患者の心はいくらか晴れるだろうに。患者が不安だと、その家族も不安だろう。患者や家族の安心につながる対話の場が必要なのではないか」と感じた。その思いが、院内での「がん哲学外来」開設につながり、樋野教授は現在もボランティアで『がん哲学外来』を続けている。

順天堂医院のようながん拠点病院の医療機関に設置されている「がん相談」と「がん哲学外来」との違いを端的に示すと、前者が治療や社会保障制度等の情報提供を中心としている一方で、後者は、がんという病気をきっかけに死というものを間近に感じ、今日、明日をいかにして生きるかという哲学的命題と向き合うようになった人々に対して、いかにして生きるかという「生きる基軸」となる言葉を提供する場である。そのため、医療介入やセカンドオピニオン的行為は行わず、患者の言葉にまず傾聴をする。そして樋野教授は「がん哲学外来」において、『暇げな風貌』と『偉大なおせっかい』を心がけていると語る。というのも、忙しそうにしている人間に、人は悩みを打ち明けようとはしないため、樋野教授は『暇げな風貌』、つまり、暇そうに見せることを大事にしているのである。そして、樋野教授は「人間は誰かにおせっかいを焼いてもらうことを望む生き物だ」と考え、「目の前の人のことを第一に考え、相手の要求にのっとるという『偉大なおせっかい』を焼くのです」と語る。

私が順天堂の樋野教授と初めて対面したのは、2017年の4月のことであった。当時私は兵庫医科大学の非常勤講師になっていたものの、私が法学出身であり、医事法・医療倫理を専門とする研究者としてステップアップするためには、医学をきっちりと学ばないと行けないという気持ちを有していた。というのも、法学、倫理、医療、この三つの分野にはまだまだ分断があり、法律を学んだ人が医療分野で貢献できること、医療現場の臨床倫理を知るためには、やはり医学部に行って学ばないと何も始まらない気がしていた。そして、私が31歳の時に参加した「日本臨床倫理学会」の懇親会で順天堂医院の医療安全管理室の室長を務めている川崎志保理医師と出会い、「それならうちの博士課程で勉強してくれたらいいよ」という言葉をいただき、2017年4月から順天堂大学の博士課程の学生となった。樋野教授の著書『がんに効くこころの処方箋一問一答 ―悩みがスッキリ軽くなる―』『いい覚悟で生きる:がん哲学外来から広がる言葉の処方箋』等の著書を読んでいた私は、漠然と「順天堂に入学したら、樋野先生に会えるかもしれない」「病理学ならば患者の診察がないため、医師でない私でも学べるかもしれない」と考えていた。そして、オムニバス形式の必修の授業を樋野教授が担当していたことから、私は本でしか知らなかった樋野教授の授業を受ける機会を得た。樋野教授は「僕の授業は眠くなるので有名な授業でね、今日も何人の生徒が寝るか楽しみだな」と穏やかな口調でユーモラスに授業を始め、『がん哲学外来』の話だけでなく、「医療者が忙しそうにしていると患者の満足度が下がってしまう」ということも学生に語られていた。その中でも印象的だったのは、『パソコンに向かうチャウチャウ犬』の写真が出てきたことである。「この写真を人々に見せてどう感じるかを聞くと、大抵の人は『微笑ましい』とか『かわいらしい』と答える。でも医療者がこの写真の犬のようにパソコンにばかり向かっていると、同じ感想にはならない。それは忙しそうに見えていて、患者にかまっていないように見えるから。だから君たちはチャウチャウ犬のようになりなさい」という言葉が印象的であった。

授業後、『がん哲学外来』に興味を持っていた私は、樋野教授を自分から呼び止め、自分が法律出身であること、『がん哲学』に興味を持っていて、自分にも何かできることがないか知りたいこと、順天堂の『がん哲学外来を手伝うことはできないか』等を5分ほどの短い時間に一気に話した。すると、樋野教授は『君はきっとHPも楽しく読んでくれるよね』と名刺を下さり、大阪のアスベスト患者会で講演をする日を教えて下さった。私は、その3日後には、指導教官の許可のもと(というのも、私は法学出身であったために、病院管理学専攻の生徒として入学していた)、樋野教授に「病理学を副専攻にしたい」という意思表示をする。5月1日の尼崎医療センターでの講演、お茶の水クリスチャンセンターで開催されているがん哲学外来、7月の「がん哲学外来市民学会」の案内を頂き、5月1日の尼崎医療センターの講演への参加を決意した時から、私のメディカルカフェの開催の一歩が始まった。5月1日、尼崎医療センターに赴いた私は、そこで「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」と出会うこととなる。そして、患者会の世話人から、患者のサポートをしたいものの、人手が足りていないという話を聞き、樋野教授から「医師でなくてもがん哲学カフェはできます。君が始めたらいいんだよ」という一言を頂いたことから、「西宮でのカフェの開催」を心に決めることになる。

そして、7月9日の「がん哲学市民学会」にも参加をする。市民学会の前日には、がん哲学外来認定コーディネーターの養成講座も開催されていた。樋野教授から案内をもらった時には、認定講座は既に満席となっていたが、キャンセル待ちで滑り込むことができ、養成講座と市民学会の2日間連続で参加した。認定講座では、10人ほどのグループに別れて議論を行い、夕食を挟んで3時間後にはグループでの結論についてポスター発表を行うというハードなカリキュラムが課されていた。私は2班に振り分けられ、8人のメンバーとグループディスカッションをすることになる。最初はみんな緊張をしていたものの、自己紹介が終わってお互いが認定講座に参加したきっかけを知った時には「何でも話せる関係」となっていた。そのときのグループディスカッションにテーマは「がん哲学外来の原点とは何か」であったが、全員が一生懸命に議論をしているうちに、「誰も否定することなく、話す人の言葉をしっかり傾聴する」不思議な空間が生まれていた。患者、看護師、カウンセラー、患者遺族、コーチングの先生など多様なバックグラウンドの人が集まったグループであったが、誰かが話して涙を流したときには、隣の人が自然と肩を抱いてあげていた。看取りの経験、介護者と非介護者のコンフリクト、がんをどう子供に話したらいいか、最期に実現した和解の瞬間、というようなセンシティブな内容の話題についても、全員が積極的に話題に関わり続けようとした。私は認定講座修了後、当時の様子を、一般社団法人がん哲学外来発行のニューズレターに以下の様に寄稿している。

『2班では、「がん哲学外来の原点とは何か」と検討する上で、参加者全員が、がん、介護、カウンセリングに関する自分の体験エピソードを話し、時に互いに共感して涙した。その中で、『家族が相手の場合はどうしても感情が優先してしまい、「受け入れ」や「寄り添い」が困難になる』ことが、参加者の共通の認識であることも判明した。「がん哲学外来の原点」を考えたところ、参加者からは「他者を理解しようとする姿勢」「気づき」「共感」「共有」「分かってほしいという気持ち」といったキーアイディアが出た。2班が抱くがん哲学外来のイメージは、誰もが持っている心の鍵で、扉を開く少しの勇気さえあればいつでも訪問することができ、「語りきれない気持ち」や「殻に閉じ籠った自分」を開放できる自由で安全な聖域である。気持ちの変化、感情の起伏、知人に見せにくい涙ですら、誰かが寄り添って受け止めてくれる。十人十色の個人が「寄り添ってくれる誰か」と出会い、相互に影響し合い、他者を受け入れながら、自己を見つめ直すことができる。がん哲学外来は、スピリチュアルケアが実践されている場所であり、誰かの生きがいになる可能性も秘めているという結論に達した。』

認定講座が終わるときには、「また来年の講座で会おうね」という挨拶が、3時間を共に過ごした戦友に対して送られた。来年会えるかどうかなんて分からない。しかし、「来年も会おうね」という言葉が、参加者がそれぞれの日常生活に戻った後の―つの励身になると言うことは、初参加の私にでも容易に察しがついた。そして私も共同発表をしたメンバーから、「来年会ったときには、どんな力フェができたかを教えてよ」「兵庫医科大学のカフェ、実現したら素敵だね」と言葉をかけてもらった。そのため、7月中旬からは「大学公認のメディカルカフェ」を実現すべく、知恵を絞ることになる。

私が「メディカルカフェを開催して患者・家族・遺族に寄り添える場所を作りたい」と研究室の秘書さんに相談したところ、彼女は私の提案に賛同してくれて、ラボの教授にもすぐに話をつけてくれた。そして、私が、「市民学会は開催されているものの、医療者の参加は少ないため、できれば参加者の声を医療者に届ける活動も行いたい」と考えていたこともあり、大学の研究として倫理審査を通過した後に、研究の一環としてカフェを開催することにした。実際、倫理審査と、うのは、かなりの体力と気力を要するもので、実施計画書や参加者への研究の説明文書、添付資料として提出するアンケートサンプル等も作成する必要がある。そのため研究室の秘書さんにはかなりの校正の負担を強いることになってしまった。(彼女は現在、メディカルカフェ Le Moiの事務局として、参加者とカフェを繋ぐ存在として毎月活躍をしている。)

その後、樋野先生の勧めで参加したお茶の水クリスチャンセンターでのがん哲学外来・メディカルカフェ(2017年7月29日)で、不思議な縁が生まれることになる。私がフリートークの時問に同席していた方と話をしていたところ、樋野教授から「ちょっといいかい。西宮の人が来ているから」と呼ばれ、私は西宮から一人でメディカルカフェに参加していたTさんと出会った。樋野教授はTさんに、「彼女は西宮でカフェをする予定の人。良かったら一緒にカフェをすればいいよ」と私を紹介した。Tさんは色白の女性で杖をついていたが、話を聞いてみたところ、耳下腺がんの患者だという。彼女は教師をしていて、数年前に耳下腺がんを患ったが、がんということは学校には隠しながら教鞭をとっていたそうである。その後、がんが肺に転移をしたときも、休眺せずに休みを利用して手術を受け、教師であり続けた。そんな中、2017年の春に交通事故に遇って大けがをしてリハビリも必要となったため、1年間の休戦をして、手術の前に検査を受けたところ、耳下腺がんの再発が判明したそうだ。Tさんは「手術をしたものの、下まぶたが戻らなくて涙が止まらないし、顔面麻痺もあって笑顔も変なんです。こんなおそろしい顔を子供に見せていいのか。もう一度手術を受けて、子供たちの前に出られる顔にした方がいいかしら」「今までがんの手術を、休みを取らずに行っていたんです。だから学校には私ががんだということは話していません。今回は言わないといけないって分かっているんですけど、勇気が出なくて。顔が戻らないのならば、教師を辞めた方がいいのかと思うときもあって」と話された。彼女はカフェ開催日の一週間前に樋野教授の著書に出会って感動し、「樋野先生に会ってみたい」「将来的には、カフェでがん教育をできたら」と感じ、東京のお茶の水まで出てきたそうだ(今から思うと、樋野教授と話したかったはずなのに、私を紹介されたことは彼女にとって良いことだったのかと心配になる)。そのときに私が彼女にかけてあげられた言葉は「がんは移る病気ではありません。がん患者でも教師という生き方ができることを子供たちに教えてあげたらいいのでは」「怖い顔を見せられないと心配するよりも、交通事故で休んでいるTさんを心配して待っている子どもたちに、教師として戻ってあげたらどうでしょう」と言うことだけだったが、彼女は「ありがとう。励まされました」と答えて下さった。そして、「仁美さんがカフェをするときは、私が手伝います。必ず行きますから」と微笑んで下さった。

大学の倫理審査は10月に最終通過をして、11月からはメディカルカフェ開催の準備に追われることになった。申請書を作成するにあたって、まず、カフェの名前を決めないといけなかった。「自分を見つめ直し、その人らしい生き方を楽しんでほしい」という想いを込め、フランス語で「私の」という意味を表す「Le Moi」という言葉から、「メディカルカフェ Le Moi」と名付けた。兵庫医科大学の最寄り駅が阪神武庫川駅であり、阪神と阪急はリンクをしていること、また尼崎のアスベストの患者会の人も来やすい場所を、と考え、西宮北口駅直結の西宮市大学交流センター(アクタ西宮東館6階)のセミナー室を開催場所として利用することにした。カフェの参加費は無料で、カフェヘの参加資格に特に制限は設けず、がんに関心を有する人ならば誰でも、事務局にメールもしくはFAXで予約連絡をすることによって参加することができる。但し、参加者には患者も含まれていること、開催日に災害が起きた場合にはすぐに参加者の安否を確認する必要があることから、予約参加制を大原則とした。カフェ開催日は一般社団法人がん哲学外来のHPで告知し、メール配信を希望される人には、カフェ開催日の一週間前に先2ヶ月のカフェ開催日を知らせている。また、「がん患者であることを公にできないためにカフェには参加することはできないが、話を聞いてもらいたい」というような人に対しては、カフェの時間外に面談の対応をするようにした。

第一回のカフェは2017年12月5日に西宮市大学交流センターのセミナー室1で開催した。11月中に告知を出したものの、正直、初回に参加者が来るかどうか不安だった。というのも、カフェの運営経験者から「はじめは人が来ないけど、気長に継続することが重要だよ」という言葉をもらったことがあったからである。しかし、東京で知り合ったTさんが真っ先に、予約をしてくれ、Tさんの友人も予約をして下さった。そして、「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の事務局担当者に案内を渡していたことが契機となり、患者会から3人の参加者があり、がんで家族を亡くした友人も参加をすることになったため、6名の参加者でのカフェがスタートした。肺がん手術後にシルバー人材派遣センターで積極的に仕事をすることによって健康維持をされている男性、「中皮腫・アスベスト疾患.患者と家族の会」の世話人で約十年前に中皮腫のご主人を看取られた女性、ご主人が中皮腫の治療中の女性、乳がん経験者の女性、が参加されていた。Tさんに至っては、初めて会ってから約三ヶ月の間に、「休眠をしている間にチャレンジしたいこと」が色々と浮かび、9月には大学の社会福祉士の通信講座に申し込んで、学生さんになっていた。初回のカフェではたくさん笑い、たくさん共感した記憶がある。参加者それぞれにドラマがあり、気づいたら2時間があっという間に過ぎ、用意したアンケートを記入してもらう時間が無くなってしまっていた。

初回の参加者の話で一番印象的であったのは、医師の接遇についての話であった。ご主人が中皮腫で患者家族として参加されていた方(以下、Aさん)が、『「主人が担当医から、この病気はすぐ死ぬセミのようなものだから」と言われたのがショックで、でも誰に愚痴ったらいいのかわからなくて。主人も落ち込むし、私も担当医に対して怒りがこみ上げるし。主人にどう言葉をかけたらいいのか、病気の話をしていいのかが分からなくて。今日ここに来て、患者さんからどんな言葉をかけて欲しいかを聞けたり、私の悩みを話せたらすごくいいな、と思って参加したんです』という話だった。その話を聞いて、参加者全員が「すぐ死ぬセミ」という言葉に一瞬ぎょっとしたが、まずはAさんの不安を傾聴しようという雰囲気になった。というのも、世間一般に余命が短いとされる病気に罹患した場合には、本人だけでなく、家族も悩むことも多い。家族は「元気になって欲しい」「長く生きて欲しい」と願い、「頑張って」「大丈夫」等の言葉をかけようとしてしまいがちであるが、その言葉が患者へのプレッシャーになることもある。このときは、Aさんの話を一通り聞いたタイミングで、「そんなこと言う医者がおるの!?信じられへんわ。今までよう頑張って抱えてたな」と患者会の世話人の女性(以下、Bさん)が声をかけ、手術から看取りまでご主人とどのように過ごしたか、Bさんの経験を話された。

当時、ご主人が中皮腫の宣告を受けたとき、医師は「がんだったらよかったんですけど、この病気は厄介で」と言葉言葉を詰まらせたそうだ。Bさんのご主人が住んでいた場所は、クボタショックの近所で、ご主人は知らぬ間にアスベストを吸って中皮腫を発症させてしまったそうだ。仰向けになると呼吸が苦しく「水に溺れているような状態」になり、金魚が水面で口をパクパクさせるようにもがくご主人の姿を見ることがBさんは何よりも辛かったそうだ。そしてご主人の手術の前日には、Bさんはご主人と一緒にインターネットでいろいろな難病を検索し、「こんな病気もあるんだ」「まだ今、こうやって話していられる病気で良かったな」と励まし合っていたそうである。Bさんのご主人は、バイオリンの先生であったが、痛みで椅子に座ることができなくなっても、生徒に教えることを辞めず、最後の最後まで「先生」として亡くなったそうである。Bさんが世話人をしている患者会にAさん夫婦が参加をしているものの、普段の患者会ではこのような話をすることができなかったようで、AさんもBさんの話を真剣に聞き、「いつも明る<私たちのお世話をして下さっているのに、そんな経験をされていたんですね。私、主人を心配していいんですね。声かけてもいいんですよね」と答えられた。

この会話のやりとりを聞いたとき、私は「メディカルカフェを開催して良かった」と思えた。そしてメディカルカフェが成功するときは、それは主催である私の力でなく、参加者同士の力であることも確信した。人々のつながりが、偶然出会いが、時に誰かを励まし、時に誰かの生きる糧となる。樋野教授が「病気であることがマイナスだとしても、マイナス×マイナス=プラスになる。だからマイナスな人がたくさん集まって、プラスにしていけばいい」と仰っていた言葉を、メディカルカフェ始動の日に体感することができた。

Aさんの悩みは解決するのか、Bさんがこれからにどんな話を聞かせてくれるのか、Tさんは学校に復眠するのか、等、読者の方は先が気になることだろう。でもそれはまた次の原稿で。今回は、メディカルカフェ Le Moiの始動のお話で終わりたい。
※10月のメディカルカフェ Le Moi は2018年10月17日(水)に開催される。

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