文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(7)

「これからをどう生きるか」

来月はセミナー室ではなく、本物のカフェでの「お花見カフェ」を企画している。西ノ宮・芦屋エリアは桜の名所が多いが、4月初めの桜まつりの時期はどこも満員で、ゆっくりと話せる雰囲気にはならない。そのため4月の2週目にカフェを開催して、しぶとく咲いている桜の木を楽しむことにした。

今日はカフェの開催日だった。カフェの日に原稿と向き合うのは、新鮮である。せっかくのカフェ当日の執筆の機会なので、今日のカフェの様子について書きたいと思う。

今日のカフェには、新規の方が参加された。その方は、80歳を過ぎてから立て続けに癌を経験し、昨年春と夏に2回の手術を受けていた。2回目の手術後に医師から抗がん剤治療を勧められたが、副作用の説明を聞いて、「自分には耐えられそうもない」と感じ、抗がん剤治療は保留のままにしているという。

病院主催の患者が集まるサロンに参加してみたものの、患者同士が「慰め合う」雰囲気が強く、これからの生き方や終活を考えたいと思う自分には合わないと感じて、インターネットでがん哲学外来の認定カフェを検索し、ルモワに辿り着いたそうである。

初参加の方の経緯から、今日のカフェのメインテーマは「これからをどう生きるか」ということになった。

ここで新たな常連さんのDさんを紹介したい。Dさんは私の同級生のお母さんで、私の年の離れたご飯友達で、かかりつけ医である。Dさんには、初めての幼稚園の参観日の帰りに娘と共に園児バスに乗り込もうとして断られ、そのまま目の前の帰宅する様子の車の窓を叩いて「駅まで乗せてください」と頼んだ武勇伝がある。そしてDさんが叩いた車は私の父が運転する車で、そこから家族ぐるみの交流が始まった。フラメンコをされていて、医師でも髪が赤色や紫色の時期もあった。

初参加の方の話題提示を受けて、Dさんが話し出した。

Dさんは医師として「初孫が生まれる年齢になった頃」に患者さんに癌が見つかるケースが多いと感じていたために、初孫の話題を聞くとがん検診を勧めていたそうである。しかし、Dさん本人は「胃カメラなんて痛そうだし、飲みたくない」と思って、ずっと検査を避けていたそうだ。しかし5年前に次女が初孫を出産するにあたり、娘さんたちから検査を強く勧められた。そしてDさんも「他人に勧めているのに、医者の私が全く検査を受けないというのもどうか」と思い、「人生で胃カメラは今回だけ」と宣言した上で友人に検査を依頼したが、人生で一度きりと決めて臨んだ検査で、Dさんの胃に癌が見つかる。

Dさんは癌が見つかった際に、「とうとうきたか」とまず思ったという。Dさんの親類には胃がんや大腸がんを患う者が多く、自分は「癌家系だろう」と感じていたそうだ。医師としてがん患者だけでなく、難病の患者や、事故で救急搬送をされる患者を診ていたこともあり、自身の癌の告知に落ち込んだりするということはなかったという。

「私の場合、癌は年を重ねれば誰にでも訪れる病気という認識を持っていたからね」とDさんは淡々と話された。しかし、告知した医師は友人の癌の発覚に、かなりの動揺をしたそうだ。

Dさん「で、癌なら次はどうしたらいいの」
医師「どうしたらって…癌なんやで!」
Dさん「だから、癌だから、どうしたらいいのかを聞いてるの」医師「癌やで、癌なんやで」

というかみ合わない漫オのようなやり取りを数分繰り返したのち、Dさんが「癌は分かったから。癌なら癌で、初めての癌だから、これからどういう風に治療が進むかを教えて」といったところで、治療の方針の話し合いに入ったそうだ。Dさんは手術は受けたが、抗がん剤治療はしなかった。

私はDさんが胃がん宣告を受けた前後にも交流があったため、当時のDさんの様子を個人的に知っていたが、本当に冷静だった。それどころか、Dさんはつい最近まで自分が癌患者であったことすら忘れていた。カフェには初期から医師として参加されていたが、半年ほど経過したあるときに急に、「あ、私も胃がんしてるから、癌患者だったわ。意識せんから忘れてた(笑)」と言い出した時には、参加者全員が拍子抜けして大笑いをした。

新規の参加者の方は、Dさんの話を聞いた後に、「私は癌になって、これからの生き方を考えています。年齢と共に出てくる疾患とも付き合いながらどうやって迷惑をかけずに生きるか」と話された。

するとDさんは、「世の中には、検査時にそのまま亡くなってしまう人もいるし、災害で突然死んでしまう人もいる。癌がきっかけとなって人生を考える方もたくさんいるけど、考えないまま死んでいく人もいるんですよ。悩むことが幸せなのか、悩まないままが幸せなのか。でも無理に答えを出そうとして、悩む必要はないのではないでしょうか」と話された。

東日本大震災の追悼から二日後だったこともあり、カフェの話題はそのまま阪神大震災の話題へと変化した。

Dさんは阪神大震災の際、自宅に運ばれてくる患者の治療を行っていた。大阪はあまり被害がないと知った時に、母親として子どもたちを真っ先に避難させたが、Dさんは医師として自宅から離れることはできなかった。診察を続ける決意はしたものの、次々に入ってくる弔報と被害情報に混乱し、変わり果てた姿のご近所さんの心音を確認しようとして、右胸に聴診器を当ててしまったこともあったそうだ。

「私は大阪の市街地がいつも通りだったことに、すごく救われたの。当時は梅田から神戸線の阪急電車に乗ると、誰かがすすり泣く声が聞こえてきて、街並みの変化と共に私も必ず泣いてしまう時期があったの」とDさんは話した。そして「でもね、人間は死ぬことが宿命だから。というか、生まれてきちゃったら、死に向かって歩き続けるしかないもん」と続けられた。.

その時、常連のBさんが、「病気はなっちゃったら仕方ないですもんね。それに癌ならば、その時までに時間がある。でも与えられた命だから、できることを精いっばいしないと」と応えられた。

初参加の方も、カフェが終わった時に「こういう雰囲気で、これからもいろいろ話がしたいですね」と笑顔で答えられた。

―余生をどう生きるかー

「がん」というテーマでカフェに集まる人が探求する人生の哲学は、世代を超えた人間の哲学と実は同じなのかもしれない。来月は桜を見ながら、人生の花の咲かせ方を語り合うかもしれない。

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