縮小社会 第7号 入澤仁美医学博士追悼記念号

若き研究者、入澤仁美氏を偲ぶ

村岡 潔
(岡山商科大学客員教授)

入澤仁美さんが突然に過世されてからもう一年になります。私たち生命倫理学者も将来を期待していた研究者だけに、その夭折はいまさらながら惜しまれます。

氏に最初にお会いしたのは、十年ほど前の2月、岡山大学・生命倫理学の元・教授粟屋剛先生ら主宰の岡山生命倫理研究会の席で、粟屋先生から紹介されたときでした。彼女は、まだ生命倫理学についてはビギナーながら、ご自身の出身の法学的センスのある質問を受けたことを覚えています。

性急なほどの研究熱心な様子も人並み以上でした。また、そのことが伝統的な研究スタイルにならう周囲の一部のいらぬ誤解を招くこともありました。例えば、大学院に入ってすぐに方向転換し他の研究機関に移籍した転身をあしざまに言う人や、持ち前の「美貌」へのやっかみからか、そのおかげで高名な先生からの指導を受けているのではないかなと勘繰る人や、物おじせずにはっきりと自己の意見や能力をアピールする姿をわきまえがないと怪牙な顔をする研究者の御仁も中にはおりました。

こういう誤解があるからか、私に何か力になってやってという粟屋先生のおそらく「遠い慮り」を受けて、入澤さんとの緩い共同研究のようなものが始まりました。私が知る限り、海外の熱心な研究者なら同じことをしているわけで、彼女の転身も自己アピールもまた、自己の研究によかれと合理的に判断し行動した結果であり、自己の利益のために「美貌」を武器とするような態度は皆無でした。私は、こうした周りの反応を観て、むしろ日本の研究環境もまだ知識の前に立ちはだかる「封建制」といった桎梏が根強く遺っていることを痛感させられた気がしました。

入澤さんは、まだ30代と駆け出しでありましたが、今後も存命でしたら「新進気鋭」という形容をつけても過言では無いような研究者となったでしょう。また、タイムリーな研究テーマを色々ととりあげて、多角的な成果をあげていく存在だと期待されたはずです。

私や彼女の仲間たちとの共同研究の課題は、私の理解では「生殖技術の倫理的法的社会的諸問題[ELSI;Ethical,Legal,andSocialIssues]とジェンダー」とでもいうべきものでした。彼女の注目は、特に、いわゆる「性的マイノリティ」のLGBTQ(LesbianGayBisexualTransgenderandQueer/Questioning)とART(AssistedRegenerativeTechnology;生殖補助医療・技術)との相互関係についてでした。私たちは、ここ数年、夏の「釧路国際生命倫理フォーラム」や秋の日本生命倫理学会で、そのテーマのシンポジウムやワークショップを繰り返し行い、こうした問題の緊急性・重要性をアピールしてきました。その甲斐もあって、入澤さんらの主張は、長野の地方紙で報道されるなど、徐々に日本各地に届くようになったと思われる昨今です。

彼女は英語も達者なので、今後は、海外の英文雑誌にも研究成果を次々と発表していくものと私は想像しておりました。

一昨年2021年、最後の舞台となった「日本生命倫理学会第33回年次大会」では、公募ワークショップ「第三者が関与する家族形成とセクシュアル・ライツをめぐる倫理的問題の検討―子供が欲しい人の想いと配偶子を提供したい人の想い―」のオーガナイザーを無事に勤めました。過世の2か月前、家からのZOOM出演でしたが、病気を感じさせぬ終始の笑顔で司会をされました。

会議では、2020年、ART(生殖補助医療)利用の民法特例法が成立し、国内の「精子や卵子提供」が可能となりましたが、本法の対象にはシングル(非婚者)やLGBTQが含まれていない点や、不妊夫婦以外の「子を持つ権利」や「出自を知る権利」や「ドナーのプライバシー権」など、医療現場でない私的空間での精子/卵子提供は規制対象か、等々、ARTの代替的利用に伴う諸権利について課題の底流にある血筋(血縁)の問題を踏まえ熱心な報告や討論が行われました。こうした入澤さんらの活動は、産科婦人科学会や他のART研究者に「単身者やLGBTQの人々のART利用問題」への昨今の関心の高まりを喚起する先鞭となったと言えましょう。

入澤さんの関心領域は幅広く、縮小社会研究会の雑誌(機関誌)第2号にも、彼女の論考「生物多様性と環境教育のこれから」が掲載されています。ここでは持続可能な社会を達成するためにも「生物多様性」を理解した世代を育てる教育の重要性が説かれています。彼女のこうした生物の多様性やダイバーシティヘの関心も私との共通点であり、今後有力な研究仲間になりえたはすでした。

私が元脳外科の勤務医であったことから、一昨年12月、彼女から2度目のロングコールがありました。脳転移についての質問だったのですが、彼女が一番心配していたのは、専らそれによってご自身の思考能力が停止し失われてしまう恐れでした。私は転移細胞と神経細胞は違うから大丈夫といった慰めしかできませんでしたが、入澤さんの研究や思考ヘの半端でない執念を感じたひと時でした。彼女はその後ひと月もしないうちに急逝するのですが、それはおそらく脳腫脹による無慈悲な脳ヘルニアが原因だったのではないかと思われます。

なお先月、入澤仁美さんのメモリアリルのホームページがいよいよ公開となりました。皆様、ぜひご覧ください。

そこでは、入澤さんが永遠の笑みを浮かべて迎えてくれるかの様です。入澤さんの多芸ぶりで忘れてはならないのは、ベリーダンスの名手ということです。私が世話人でもあった佛教大学ビハーラ研究会の例会で新たな高齢者ケアの形について講演し、その実践としてお仲間とともにベリーダンスを公開してくれたことです。このことは地元紙にも紹介されたと思いますが、ピュアランド(極楽浄土)の具体的イメージとして観衆の心に新たなケアの形を感じさせるパフォーマンスとなったようです。

最後に追悼の一句を詠んで、改めて入澤仁美さんの冥福をお祈りする次第です。ちなみに、寒中の鶏卵は滋養に富み、食(は)めばすぐに春が訪れるような気になります。入澤さんの魂は、今もなお私たちに色々なテーマやヒントを与えてくれ続ける<寒卵(かんらん)>なのだと言えましょう。

寒卵や ベリーダンスの 汝は天女

合掌。

(2023年正月5日)

関連記事